「ってことがあってね、私、その人の家に住み込みで働かせてもらうことになったの」
昨夕 御神本家《みきもとけ》の夕飯で食べた、菜の花のバター醤油ソテーを頬張りながら、何でもないことのように週末我が身に起こったあれこれを適度にかいつまんで話したら、 「急展開すぎるでしょ!」 小町《こまち》ちゃんがコーヒーをひと口飲むなりそう言って、私に迫ってきた。 ですよねぇぇぇぇ。 私自身そう思ってるもん。 でもちょっと待ってね。口の中の菜の花、飲み込んじゃうから。 菜の花をよく噛んで飲み込んでから、ついでに水筒の中の熱いお茶をひと口飲んで、口の中をリセットする。 はぁ〜。玄米茶美味しぃ〜。 てっきり御神本家には玉露しかないのかと思っていたら、飲み慣れた玄米茶もあると知って大喜びした今朝。 八千代さんが遠慮なく飲んでいいのよと言ってくださったから、今日はお言葉に甘えて急須で出した熱々2口分を、魔法瓶にたっぷり詰めてきちゃった♪ 熱いお茶と美味しい残り物にほっこりしていたら、 「ところで花々里《かがり》ちゃん。私が何も知らないと思って、雇い主の説明かなり端折ったでしょ?」 言われてキョトンとしたら、 「へっへっへ。実は私、ヒロくんから電話でその人のこと、色々聞いてるのよ?」 次いでニヤリとしながら告げられた言葉に、私は「えっ」と口ごもる。 私が小町ちゃんに話したのは、理由あって、先の週末から母の古い知人の家で住み込みで働き始めたということ。 学費も立て替えてもらっている手前、その人に頭が上がらない私には選択の余地がなかったと言うこと。 その相手がお金持ち?の家の嫡男で、結構大きめなヤバイ……。 小町《こまち》に「手遅れかも」とか言われて……。 ついでに、以前書いたとかいう婚姻届がまだ保留にされているんだと知って……。 俺、つい焦って花々里《かがり》に「好きだ」とか言っちまった。 子供の頃からずっと花々里のことしか見ていなかったけど、花々里は父親を亡くしてからこっち、食いモンしか見てなかったし、それならそれで急がなくても少しずつ歩み寄っていけばいいかと思っていたのに。 それこそ俺が就職してから。 稼げる男になってから。 花々里に自力で美味いモン、たくさん食わしてやれるようになってから。 そうなれてから好きだと告げて、ただの「幼なじみ」から「1人の男」として意識してもらえたらいいと思ってたんだけどな。 子供の頃といい、最近といい、何だって花々里はすぐ俺じゃないヤツに餌付けされちまうんだ! 俺の餌付けが足りなさ過ぎたのは認める。 何つっても母親頼みだし……他力本願な時点で詰めが甘い。 うちには4つ年の離れた食い盛りの双子の弟達もいるし、どうあっても常におかずの奪り合いが起こる。 家だって、ごくごく平均的月収のサラリーマン親父と、パートタイマーの母親が支える、いわゆる庶民だし。 頼綱《よりつな》みたいに、いつでも高級なモンを食わしてやるとか現状では絶対に無理だ。 けど――。 負けたくないって思っちまったんだからしゃーねぇじゃん? 好きだって暴露してしまったのも取り消
「どっ、どこに向かってる……の?」 恐る恐る問いかけたら「病院」って言われて。 それはどこの病院なんだろう?と、私の中に更なる疑問を呼び起こすの。 「頼綱《よりつな》の、……トコ?」 何となく頼綱の顔が浮かんでそう言ったら、無言で睨まれて。 それは肯定なの? 否定なの? どっち? *** 「急に押しかけてすみません」 寛道の声に、私は彼に手をギュッと握られたままビクッと身体を跳ねさせる。 「あら、いいのよ。寛道《ひろみち》くんならいつ来てくれても大歓迎」 ニコッと笑ったお母さんを見て、私はソワソワしてしまう。 病院って……こっちだったの? なんで……お母さんの、所? 「花々里《かがり》、どうしたの? 今日はやけにおとなしいじゃない」 言われて、「あ、うんっ、お、お腹空いてて」と意味不明な返しをしてしまってから、こんなんじゃお母さんに心配かけちゃうじゃんって思って。 「ね、花々里ちゃん、御神本《みきもと》さんのところでは可愛がってもらってる? 辛い思いしてない? お母さん、もうちょっとで退院できるから……そうしたらまた2人で暮らすことも視野に入れて色々考えようね」 言われて、「だっ、大丈夫! すっごく可愛がってもらってるし、私、今のままでも全然問題ないよ」って答えたら、瞬間手首を握る寛道の力が強くなった。 いっ、痛いってば。 眉をしかめて、寛道の手を振り解こうと、腕を自分の方に引きながら寛道を睨んだら、
「意味わかんないよ?」 キョトンとして寛道《ひろみち》を見詰めたら、「お前のこと好きだっつってんの! 分かれよ」って怒られた。 そ、そんなのっ、唐突すぎて分かりっこない! *** そもそも寛道は小町《こまち》ちゃんが好きなんだから、私への「好き」は恋愛絡みの「好き」ではないはず。 きっと小町ちゃんに振られちゃったからご乱心なのね? ということは、きっとこの好きって――。 「……えっと……それは……私がかぼちゃの煮物が好き、とかいうのと同じ〝好き〟だよね?」 そうなんだと思う、きっと。 こう、小さい頃から慣れ親しんでるから、見掛けたらホッとする感じの。 それ、奪われると思ったから焦ってるのね? もぉ、可愛いところあるんだからっ。 そう思いながら「だよね?」のところで小首を傾げたら、寛道が息を呑んだ。 えっと……。 否定しないってことは……肯定でOK? だとしたら――。 「私も寛道のこと、嫌いじゃないよ?」 寛道、何だかんだ言って、小さい頃から可愛がってくれるし、たまにだけどこんな風におばさんの手料理をお裾分けもしてくれる。 何より私が困っていたら憎まれ口を叩きながらも今日みたいに助けてくれるでしょ? だから、嫌いじゃない。 あえて「好きだよ」とは言わずに「嫌いじゃないよ」って言い方をしたのは何となくで深い意味はない。……
「ばっ、バカじゃないしっ!」 一応この大学、結構偏差値高かったでしょ!? そりゃ、寛道《ひろみち》や沖本先輩の薬学部よりは私の通う文学部はハードル低いけど……私、結構頑張ったのよ? むぅーっと頬を膨らませたら「自力で帰宅出来ないヤツにバカっつって何が悪いんだよ。――それに」 そこでフイッとそっぽを向くと、 「どこの才女が食いモンに釣られてよく見もせず婚姻届にサインすんだよ」 ってつぶやかれて。 あまりにごもっともな言い分に言葉に詰まった。 「そっ、それはっ。――でも! ちゃんと保留にしてもらってるもんっ」 言いながら、ズンズン先に歩いていく寛道を小走りで追いかける。 学内でも人気の少ない裏門までの道。 研究棟などの横を通り抜ける小道は要所要所で少し薄暗くて怖いけど、御神本邸《みきもとてい》へは正門を抜けるよりこっちの方が近道なのだと、今朝寛道に教わった。 ただし、遠回りになってもひとりでは通るな、と釘を刺されて。 だったら教えないでよね、通りたくなるじゃない、と思ったのは内緒。 と、いきなり寛道が立ち止まって、私は彼の背中――正確には寛道が背負ったリュックに鼻をぶつけて涙目になる。 「もぉ、急に立ち止まらないでよ! 鼻打っちゃったじゃない」 金具に当たったから赤くなったかもしれない。 鼻の奥がつん、として……じわりと目端に涙が浮かぶ。 そんな状態で鼻の頭をこすっていたら、振り返った寛道に唐突に抱きしめられた。 「ひゃっ、ちょっ、何っ!?」
「でっ、でも頼綱《よりつな》のことはっ」 言おうとして、「花々里《かがり》ちゃんがトラウマだって言ってるお菓子のお兄さんだって……結局は餌付け絡みじゃないの」って小町ちゃんにポツンと落とされて。 私は先が続けられなかった。 だって……頼綱のことをどう思ってるかなんて……悔しいけれど、結局のところ自分が1番分かってるんだもん。 どんなに否定したって悪あがきに過ぎない。 私は疑うべくもなく、強く頼綱に惹かれてる――。見た目も中身も……。それから美味しいものを沢山くれるところも。 そう。 悔しいけど……もうすでに手遅れなくらいに……。 全部全部大好きになってるよ。 *** 「花々里ちゃん、ごめんね。私、隆也《たかや》先輩と帰る約束しちゃってて……」 今日はみっちり授業が詰まっている日だったので、全ての講義が終わったら18時を過ぎていた。 5月ともなれば段々日が長くなってきているし、少し前みたいに暗いとは感じなかったけれど、慣れない道を暗くなりつつある中、ひとりぼっちはしんどいなとか思ってしまって。 ちょっぴり小町《こまち》ちゃんに甘えてしまいたい気分に駆られたんだけど、どうやら小町ちゃん、大学に入ってすぐに出来た彼氏――寛道《ひろみち》と同じクラスの沖本隆也先輩――とデートの約束があるみたい。 「そっか。そりゃ仕方ないよ。先輩によろしくね」 言ったら「花々里ちゃん、今日はヒロくんと帰ったらどうかな?」とか。 寛道なら確かに私の新居を知っているし、打って付けといえば打って付けだけど……何だ
「あ、あのっ、お、お漬け物のお話よ!? ……い、イイナ漬けっ。美味しいな? えへっ♪」 苦しい言い訳で逃れようとしたけれど 「かぁーがぁーりぃーちゃぁーん。そんな漬け物ないでしょ? さぁ、恋人すっ飛ばして婚約者……いや、もしかしてご主人!? とにかく私を差し置いてそんなことになっちゃった経緯っ! 詳しく聞かせなさいっ!」 誤魔化せるわけ、なかった……。 *** 「えー、それっていわゆる玉の輿じゃん? 何を躊躇う必要があるの?」 小町《こまち》ちゃんの粘り強さはスッポン並み。 日頃は春風駘蕩《しゅんぷうたいとう》とした雰囲気のくせに、気になることが見つかると、途端人が変わったようにスッポンモードに突入しちゃう。 幼い頃から彼女のことを知る私は、観念するしかないと思ったの。 根掘り葉掘り聞かれるままにアレコレ答えたら、あっけらかんとそんな風に言われてしまった。 「でっ、でもっ……私またあんなのは……」 「ストップ! ね、昔、花々里《かがり》ちゃんに美味しいものくれてたお兄さんと……その、えっと……」 「頼綱《よりつな》?」 「そう、その頼綱さんとやらは別に同一人物じゃないんでしょう?」 私が子供の頃、依存しきっていたお菓子のお兄さんと突然会えなくなって意気消沈して、あまつさえそれがトラウマになっていることを知っている小町ちゃんが、「その人と頼綱さんのことは別物として考えなきゃダメだと思うな」って言って。 「そ、それは……そうなんだけど……」